問題の単純化

思想

「問題の単純化」の自分なりの解釈とその方法

はじめに

「問題の単純化」は簡単なようで、万事を成すうえで最も難しい。
その上に、それが出来ない者も多い。
そこで、「問題の単純化」の自分なりの解釈とその方法をまとめようと思う。
理想論であって、常に意識して完璧を目指すのは難しいが、頭の片隅にでも留めてほしい。

ちなみに、これらは問題の当事者が行うべきことであって、外部の者が行うべきでない。
外部の者が行えば、重要なことが抜け落ち短絡的な結論に行き着く可能性がある。

また、外部の者であるならば単純化された問題を、疑う必要性があることは言うまでもない。

問題の発生

生きている限り、何某かの問題が発生するものだ。
それらが、難しい問題であったり、複雑である場合が大変である。
ここでは、それを「困難な課題」と呼称するとしよう。

困難な課題というのは、大体の場合において解決が難しい。
(稀に、思い付きで簡単に解決する場合もあるにはあるでしょう。)

困難な課題を「確実」かつ「測定可能」な方法で解決するためには、問題を単純化することが大切であると言われる。
次項では、それがなぜ大切かを考えよう。

「問題の単純化」が必要な理由

問題の単純化が必要な理由というのは、概ね以下の通りである。

  • 最終的な解決を証明するため
  • 解決が出来ない場合に、次の施策を講ずるため
  • 集合知を利用するため
    愚鈍な私個人としては、最後の「集合知を利用するため」というのが最も大きい。

もし仮に、困難な課題を単純化せずに解決できたとしよう。
しかしながらそれでは、
「本質的に解決できたのか」
「何が問題の主要因であったのか」
「どの施策が最も解決に寄与したのか」
これらが、不明確になってしまう。
これでは、「見かけの異なる本質は同じ問題」が発生したときの解決に時間がかかってしまう。

「本質的に解決できたのか」を証明できなければ、それは個人の感覚に過ぎないし、何より外から見れば安心できない。
「何が問題の主要因であったのか」が不明確であれば、また同じ問題が発生する可能性があるだろう。
「どの施策が最も解決に寄与したのか」が不明確であれば、知見を備えることができないであろう。

こういった理由から、困難な課題の解決には、単純化が必要であると言えるだろう。

方法論

では、具体的にどの様にして単純化を行えばよいのであろうか。

困難な課題を上手く解決する人は、大きく3つの点を意識しているようだ。

  • 立場別に、解決後の状況が明確であるか
  • 課題間の依存関係が排除できているか
  • 課題が具体的な数値として、表すことができるか

これらを意識して、単純化する方法は非常に簡単だ。

  • 1 問題を解決してどういう状況を目指すのか明確にする。
  • 2 考えられる原因を3~5つ程度搾りだす。
  • 3 2.の手順をそれぞれの原因に2~5回程度、再帰的に行う。
    たったのこれだけではあるものの、これには慣れが必要で簡単とは言えないが、繰り返せば確実なものとなる。
    こうして枝葉状に分かれた個々の問題を解決すれば、最終的にはどんな複雑な問題でも解決できるはずだ。

これならば、広い専門知識が必要な問題も、絞り込めば詳しい人間に助言を求められ、
個々の問題を評価できるので、原因究明や施策も確実に実施、改善が行えるであろう。

さいごに

上記は簡単とは言えないし、常に完璧な実施が出来るものではない。
しかし、個々人が少しでも意識して活動を行えば、組織や社会は確実に良くなるであろう。